27日付の中国共産党機関紙「人民日報」は、沖縄・尖閣諸島(中国名・釣魚
島)沖の日本領海内での中国漁船衝突事件について、「日本政府は事件を通し
て教訓をくみ取るべきだ」とする論評記事を掲載し、日本国内で中国脅威論が
一段と高まることをけん制した。
記事は、「日本の一部政治勢力が事件を契機として勢力拡大を狙い、策略を練
ろうとしている」と分析。「(中国脅威論をあおる)政治勢力に対中政策を主
導させてはならない。中日関係の悪化を利用する言動を放置すべきではない」
と主張した。
また、「日本の発展と繁栄は中国と切り離すことはできない。中国と対抗し続
けるなら、その代償に日本は耐えられない」と論じ、対中経済依存が進む日本
に警告した。
(読売新聞 2010/09/27)
日本政府が汲み取るべき教訓
日本側が釣魚島海域で違法に中国漁船を拿捕し、乗組員を拘束したことで、中
日関係の良好な発展基調は深刻に破壊された。事件発生以来の日本側の一部言
動は、日本国内に厳然として存在する一部政治勢力の、事態に乗じて力を振る
い、ある種の目的を達成するために騒ぎを大きくしようとする企みを反映して
いた。我々はこれを存分に暴露しなければならない。
この「企み」には2つの「みみっちい計算」があった。1つは、観念論的な「現
実に背を向けた政策」を講じ、日本の国内法によって事件を処理することで、
いわゆる「裁判の前例」を作り、中国に「既成事実」の受け入れを迫ること。
もう1つは、中国との対立激化を利用して、いわゆる「中国脅威論」を誇張し、
さらに勢いに乗じて「米軍抑止力論」によって普天間飛行場移設問題の解決と
日米同盟の強化を推し進め、防衛戦略と軍事力の配備を調整すること。特に中
国を標的にした南西諸島の防衛強化だ。
中国政府が当初から日本側に、誤った情勢判断をするなと明確に戒告してきた
にも関わらず、日本の一部勢力は過ちを押し通して非を悟らず、独断専行を続
けた。最後になってようやく、彼らはこのような「取らぬ狸の皮算用」が上手
くいかぬことに気がついた。第1に、中国は当初から彼らの「みみっちい計算」
を看破していた。主権、統一、領土保全に関わる問題において中国の立場は断
固たるもので、決して譲歩も妥協もしない。第2に、現在中日は深いレベルの
協力関係にある。日本の発展や繁栄は中国の発展や繁栄と切り離せず、中国と
力比べを続ける事による代償に日本は耐えられない。第3に、米側は日本側に
「強心剤」や「安心薬」を度々与えてはいるものの、自国と中国との関係にも
配慮しなければならない。日本は重大な時期に米国を頼りにできるのかどうか、
十分な自信がないのだ。
歴史上、日本が「対外事件」を利用して騒ぎを起こした先例は決して少なくな
い。その目的は2つしかない。「外を以て内を補う」と「外を以て外を補う」だ。
「外を以て内を補う」例には、菅直人と小沢一郎が選挙演説で共に釣魚島に言
及し、中国を挑発する発言をして、国内の民意を煽動し、丸め込んだ事が挙げ
られる。これがいわゆる「選挙政治」だ。また、2009年に当時民主党副代表の
前原誠司が衆議院で時の首相麻生に「尖閣諸島(注:我々の釣魚島およびその
附属島嶼を指す)に第三国が侵入した場合、日本はどう対応するか」と計算高
く質問し、麻生から「尖閣諸島には日米安保条約が適用される」との発言を引
き出した事も挙げられる。これがいわゆる「議会闘争」だ。
「外を以て外を補う」典型的な例には、今回の事件における右翼保守派と若手
戦略派を中心とする日本の一部勢力による一連の言動が挙げられる。彼らの意
図は、これを機に外交・安全保障政策の調整と突破を達成することにあった。
こうしたやり方の結果、日本の民族主義感情が極端に煽動され、中日両国民の
民意と世論の雰囲気が悪化し、釣魚島問題は一層複雑化した。
今回の事件について日本メディアは、菅直人首相および重要閣僚には外交事件
の処理経験が不足しており、事態を十分に重視しなかった上、場当たり主義の
「近視眼的」対応をとったとの見方で一致している。民主党内の重要議員から
も同様の発言が上がっている。樽床伸二前国対委員長は25日の演説で、現内閣
のやり方については議論が必要だとし、中国漁船を拿捕し、船員を拘束したこ
と自体が「間違っていた」と指摘した。
日本政府は今回の事件から教訓を汲み取るべきだ。一部政治勢力が常に対中政
策を操り、主導することを許してはならない。中日関係を悪化させる言論や行
動を放置または利用し、いわゆる民意を丸め込むことはさらにしてはならない。
このような「みみっちい計算」を続けた場合、最後に壁にぶつかるのも自分な
のだ。(編集NA)
(人民網日本語版 2010/09/27)
一般的な日本人には、多かれ少なかれ中国に対する贖罪意識があり
中国に対しては一歩引き気味の態度を取る事が多いのですが、これ
は戦後のマスコミの偏向報道と日教組と左翼官僚による偏向教育に
よるものであると言えます。勿論、戦前国策を誤らせた一部日本軍
の暴走という要素も大きいのですが、何故、当時の日本国民の間に
「暴支膺懲」のスローガンに対する、一定の支持と理解があったか
を考える必要があります。
つまり、中国は満州事変から日華事変に至る過程で、中国は日本と
の関係で条約上の日本の権利を暴力的に侵害した事が多々あるのです。
つまり、当時列強や日本が中国に持っていた権益に対し、その改定
を交渉によって行う事なく、暴力や軍事力を使って主張をしていた
のが中国なのです。今回の事件で、そういう中国の戦前と変わらな
い姿(北朝鮮の態度にも共通の姿)が多くの日本人の前に赤裸々にな
ったと言えるでしょう。
上に揚げた記事は、読売新聞が報じた中国人民網日本語版の記事で
すが、読売新聞が報道している内容より遥かに居丈高で偏向した主
張である事が判ります。昔、中ソ対立が華やかだった頃、中国がこ
の様な言葉使いでソ連を誹謗中傷していた事を思い出しますし、同
時に、日本に対しても同様の汚い言葉使いで自己主張を行っていた
事を思い出しました。当時、その様な中国の主張に喝采していたの
が、菅総理や仙石官房長官がそうであった様な過激派学生であり、
多くの日本人は、その一方的な主張に辟易していました。
日中国交回復以降、日本は満腔の好意を中国に寄せました。誠に鷹
揚に資本と技術を経済援助やODAの名の下に中国に注ぎ込みました。
しかし、中国はそれに対し、悪意と反日教育で答えたのです。
百年余り前、福沢諭吉は、「脱亜論」の中で東亜の悪しき隣人とは、
距離を置くべきである事を主張し、寧ろ、日本が目指すべき公正と
正義は欧米諸国にある事を論じました。勿論、欧米諸国が無垢であ
る訳もありませんが、中国と比較すれば、まだしも正論と常識とル
ールが通用する土壌が存在する事は事実です。
我々は、それから百年を経た現代においても福沢と同じ感慨を抱か
ざるを得ず、中華民族の性格が百年変わっていないことを改めて認
識せざるを得ず、そういう隣人とは関わり合いを低くせざるを得な
いというのが今回の事件の教訓と思わざるを得ないのです。
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