2009年7月17日金曜日

What a class act! 先人を敬ったイチローに称賛の嵐

※写真はYahooサイトから転載

【米国ブログ】先人を敬うイチローに称賛の声

9年連続のオールスター出場を果たし、さらにア・リーグの1番バッターとして
1打席目で安打を放ったマリナーズのイチロー選手。今年も期待通りの活躍を
見せたイチローに対し、場外での行動にも称賛の声が上がっている。

スポーツチャンネルESPNのウェブサイトでは、イチローがオールスター戦前に、
セントルイスにあるジョージ・シスラーの墓参りをしたとのニュースを伝えて
いる。シスラーは2004年にイチローがその記録を破るまで、シーズン最多安打
の記録を84年間保持していた選手。弓子夫人および数名の友人と共に墓参りを
したイチローは、「セントルイスに来る機会はあまりない。野球界の偉大なる
先人に対して敬意を表したいという気持ちがあり、それは僕にとって墓参りを
するということだった」と記者に語ったと記している。

これに対しブロガーErik Loomisは、「イチローはセントルイスでのオールス
ター戦出場に際して、シスラーの墓参りをすると決めていた。他にシスラーに
敬意を表して墓参りをしようとした選手がいただろうか。このニュースを耳に
したら、イチローのファンにならずにはいられないはずだ」と記し、その行動
を称えている。(編集担当:松井望・山口幸治)

(サーチナ 2009/7/17)


イチローにとっては、当たり前の行動だったのかも知れませんが、
このESPNの報道に対する読者の反応は非常に好評です。
ESPNと似た記事がYahooのMLB特集でも、トップに近い位置に掲載さ
れています。Yahooの記事への反応もESPNと殆ど同じで、賞賛一色
と言って良い程です。面白いのは、先人への敬意を表する伝統を日
本的なものと書いた記事に対し、シアトルの伝統であるとするもの
がありました。勿論、そのコメントを書いた人もイチローの行動は
一流の競技者の一流の行動と評価したうえでの事です。

アメリカ人はドライであると良く言われますが、住んでみると意外
にウェットだったという経験があります。同様に先人へ敬意を表す
伝統も古いものではあってもアメリカの中で未だに生き続けてもの
なのかも知れません。それを表に出してくれたイチローへの感謝が
賞賛となって現れている様に思われます。

Ichiro visits Sisler's grave
http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=4329684
Ichiro remembers George Sisler so we can, too
http://sports.yahoo.com/mlb/blog/big_league_stew/post/Ichiro-remembers-George-Sisler-so-we-can-too?urn=mlb,176888


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2009年7月16日木曜日

誰もが百回死んでも理解できない先軍政治

※写真は産経新聞サイトより転載

「韓国大統領、百回死んでも理解ムリ」北が批判

朝鮮中央通信によると、北朝鮮の祖国平和統一委員会の報道官は15日、韓国
の李明博(イミョンバク)大統領が今月上旬の欧州歴訪で、北朝鮮や金正日(キ
ムジョンイル)総書記を批判したことに関連し、李大統領は「(北朝鮮が進め
る軍事優先の)先軍政治を100回死んでも理解できないであろう」と非難した。

大統領は、ポーランドでの記者会見で、北朝鮮を「私たちが理解できない地球
上で唯一の国」と述べており、これに対抗した発言とみられる。

(読売新聞 2009/7/16)

朝鮮中央通信がいくら「(北朝鮮が進める軍事優先の)先軍政治を
100回死んでも理解できないであろう」と非難しても、誰もそれ
を深刻な非難とは思わないのでは、パロディ以外の何者でもないと
いう感想を覚えます。

日本でも、朝鮮新報を購読している朝鮮総連の会員は数万人規模に
縮小しているそうですし、本国でも人口が減少しているようです、
更に朝鮮人以外の北朝鮮支持者は、日本では、ますます細ってきて
います。その意味で、先軍政治の理解者は、既に絶滅危惧種と言え
る様になってきました。(個人的には一日も早く絶滅する事を心か
ら願っています。)

その上、先軍政治の提唱者という事になっている金正日自らが、糖
尿病、脳梗塞、ついには膵臓がんとまで報道され、暴飲暴食荒淫の
果てに然したる年齢でもないのにヨボヨボの老醜を晒している始末
です。改めて驚かれる方も多いと思いますが金正日は、まだ67歳
なのです。北朝鮮では、最高の医療を提供されているであろう金正
日でさえ、日本男性の平均寿命と比べても10歳以下、父親の金日
成と比べると、実に15歳短い寿命しか保てそうもない処に、体制
としての先軍政治の根本的な誤りを見てとれる思いがします。

北朝鮮が自らの体制としての正当性を主張するので、あれば、せめ
て、北朝鮮の平均寿命を10歳上げてみろと言いたいと思います。
(なお嘘の統計を発表するのはルール違反とします。)


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2009年7月14日火曜日

掴みかけた人気を維持できなかった麻生首相

※ロイターサイトより転載

首相「解散を決断」 21日解散、8月30日投開票へ

麻生太郎首相は13日午後、首相官邸で開かれた自民党緊急役員会で、衆院を
解散する意向を表明した。この後に開かれる政府与党連絡会議でも解散の意向
を表明する。7月21日に解散、公示が8月18日、投開票は8月30日とす
る方針。
緊急役員会には自民党の細田博之幹事長、古賀誠選挙対策委員長、尾辻秀久参
院議員会長らが同席した。

平成17年8月の「郵政解散」以来、3年10カ月ぶり。与党の自民、公明両
党が過半数を維持するか、民主党を中心とする野党勢力が政権を奪取するかが
最大の焦点となる。衆院議員の任期は憲法45条で4年と定められているが、
戦後23回の衆院選のうち、任期満了に伴う選挙は昭和51年の三木内閣での
1回だけ。残りはいずれも衆院の解散による選挙だった。衆院議員の任期は平
成17年9月11日から21年9月10日までだった。

(産経新聞 2009/7/13)


麻生首相は最後まで不本意だったのではないでしょうか。
何も東京都知事選で大敗した後に、解散を表明する事などしたくは
無かった筈です。しかしながら政権を浮揚させる力は残っておらず、
かと言って任期満了による選挙では、あまりに死に体で自民党にと
ってマイナスが大きすぎると考えたのだろうと思います。

本来は、自民党総裁に選出された直後に解散を打ちたかったと思い
ます。しかし折悪しくリーマン・ショックとその後の世界金融危機
問題の発生という緊急事態で断念を余儀なくされたのがケチの付き
始めとなりました。その後は、漢字の読み間違えや、ホテルでの飲
食、カップヌードルの価格の間違いと言ったマスコミの揚げ足取り
の影響で人気が急速にしぼんでしまいました。これに加え、靖国神
社への参拝を断念した事や、国籍法改正を不用意に行った事でも、
本来の支持層である保守派からも反発を招きました。政権発足後三
ヶ月で支持率が3割を切ったのは計算違い以外の何者でもなかった
と言えるでしょう。

その後は、人気の回復を図る事ができず、それに連れ解散権も封じ
られていったという事になるかと思います。後知恵になりますが、
世界金融危機問題への対応よりも解散を優先した方が麻生政権にも
自民党にも良い結果になっていただろうと思います。その代わりに
流石に300議席の維持は難しかったでしょうから、経済政策をこう
スムーズに実行する事はできなかったと思われます。

今回の衆議院選挙がスタートもしていない段階で、結果を語るのも
おこがましいのですが、都議会選挙と同様の自民党大敗と政権交代
が予想されます。『政権交代』というキャッチフレーズそのものが、
民主党への期待を高めます。自民党は地滑り的な大敗を喫し、当然、
選挙結果を受けて麻生総裁は辞任、麻生内閣は一年に満たない生命
を終える事になります。

麻生内閣には、決定的な落ち度はありません。寧ろ、一年の内に四
回もの予算案を通過させた点は、景気をより悪化させなかったとい
う点で評価すべきであろうと思います。
しかしながら、政権への支持は、何を行ったではなく、国民にどの
様な期待を抱かせる事ができたが決まります。

ホテルの飲食が問題になった時に、ラーメン屋で記者相手に夜食で
もとっていれば、事は大きくならなかったのかも知れません。
今でも秋葉原に行けば、ビル側面に掲げられた「俺達のタロウ」と
いう大看板を見る事ができます。麻生太郎は確かに一時期人気を掴
みかけたのです。が、麻生首相は、この「俺達のタロウ」という無
党派層に媚びる様なパフォーマンスを行うにはあまりにも貴族的
あったという事かも知れません。


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2009年7月13日月曜日

都議選 だれも報じないもう一つの大敗

※勝利を喜ぶ民主党 産経新聞サイトより転載

都議選 自公過半数割れ 民主54議席を獲得、初の第1党

東京都議選(定数127、42選挙区)は12日投票、即日開票された。政権
奪取を狙い、追い風に乗る民主党(現有34議席)が各選挙区で票を伸ばし、
54議席を獲得、初めて第1党となった。麻生政権の支持率低迷で逆風にさら
された自民党(同48議席)は38議席に大幅後退。公明党は現有に1議席を
加え23議席としたものの、自公を合わせた与党の議席は勝敗ラインの過半数
を割り込んだ。自民党内で麻生太郎首相の責任を問う声が強まるのは必至で、
次期衆院選に向け首相の進退に波及する可能性も出てきた。

投票率は54.49%で、前回(05年)の43.99%を大きく上回った。
自民は40年間にわたって維持してきた第1党から転落した。与党の過半数割
れで、石原慎太郎知事は難しい議会対応を迫られることになりそうだ。

民主は38選挙区で公認候補がトップ当選を果たした。七つある1人区のうち、
6選挙区で自民党候補らと争い、5選挙区で当選。3人を擁立した世田谷区や
練馬区では全員が当選するなど、圧勝した。

自民の38議席は、第2党に転落した1965年に並ぶ過去最低の議席数。特
に1人区では6人が落選する惨敗を喫した。複数人区でも荒川区や北多摩2区
で議席を失った。

公明も逆風下での選挙となったが、支持母体の創価学会を中心に徹底的な組織
戦を展開、5回連続の候補者全員当選となった。

共産党は前々回から続いた退潮傾向から脱せず、現有13議席を8議席に減ら
した。東京・生活者ネットワークは4議席が2議席になった。社民党は議席を
回復できなかった。

(毎日新聞 2009/7/13)


自民党が大敗するのは、もうお約束という感じがしていた都議選で
したが、その通りの結果になったと思います。
民主主義国の選挙では、景気後退中に、政権与党が勝利するという
のは、余程の争点が存在している時だけです。

結果的には、オーバーにすぎる表現という意見もありますが、百年
に一度というリーマンショック以降の景気の急速な落ち込みで、失
業や所得の落ち込みという形で、庶民が肌で痛みを感じている時に、
政権与党が選挙で敗れるのは当然と言えば当然なのです。

麻生内閣になってから、一年程ですが、この間、実に四回もの予算
案を通過させています。通常は一年に一回の予算を四回も通してい
るのは、内閣の成績としては立派なものです。そのお陰という訳で
もありませんが、景気もショックからの立ち直りがほの見えてきた
という状況にあります。そういう意味では、麻生内閣の経済運営は
適切を欠いていたとは言えませんが、マスコミは麻生内閣の批判一
色であり、評価する声は殆どありません。その点では、安部内閣の
時と同様の政権交代へのメディアスクラムが出来上がっています。

大都市圏は、無党派層も多く、その投票行動が、特にマスコミの報
道の影響を受け易い事を考えれば、今回の都議選で、自民が敗れる
のは、必然であったとすら言えます。

この敗北により、自公の議席は、選挙前は70議席でしたが、選挙
後は61議席と9議席の減少となりました。しかし、この与党の敗
北の陰に隠れ目立たないものの、実は大敗北を喫した政党が他にも
あります。一つは共産党。13議席から8議席へと議席は4割減と
なりました。もう一つは、東京・生活者ネットワークで4議席が2
議席と半減してしまいました。東京・生活者ネットワークの性格付
けは必ずしも明確ではありませんが、民主党左派や社民党と似た性
格を持つと言えます。

この結果は、一部に『蟹工船』現象として持て囃されていた、共産
党や、マルクス主義に対する若者の支持の増加が、殆どあるいは、
全く、選挙結果に現れておらず、逆に、民主党という『変化への期
待』だけに支持が集中している様子を示したものと言えます。
(実際に、民主党が都議会で何をやったのかを評価したものではな
い事は、民主党が都議会で知事提出の条例案に99%以上賛成してい
る準与党であった事からも明らかです。)

その意味で、確かに、民主党への世論の『変化への期待』は、大き
いものの、その支持の多くはマスコミの反自民キャンペーンと景気
悪化の責任を時の政権への批判に結びつけたものであり、民主の支
持基盤は、確固としたものではなく、争点の選び方によっては、振
り子は再度大きく動く事を予想させるものと言える様に思います。


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