※ロイターサイトより転載
首相「解散を決断」 21日解散、8月30日投開票へ
麻生太郎首相は13日午後、首相官邸で開かれた自民党緊急役員会で、衆院を
解散する意向を表明した。この後に開かれる政府与党連絡会議でも解散の意向
を表明する。7月21日に解散、公示が8月18日、投開票は8月30日とす
る方針。
緊急役員会には自民党の細田博之幹事長、古賀誠選挙対策委員長、尾辻秀久参
院議員会長らが同席した。
平成17年8月の「郵政解散」以来、3年10カ月ぶり。与党の自民、公明両
党が過半数を維持するか、民主党を中心とする野党勢力が政権を奪取するかが
最大の焦点となる。衆院議員の任期は憲法45条で4年と定められているが、
戦後23回の衆院選のうち、任期満了に伴う選挙は昭和51年の三木内閣での
1回だけ。残りはいずれも衆院の解散による選挙だった。衆院議員の任期は平
成17年9月11日から21年9月10日までだった。
(産経新聞 2009/7/13)
麻生首相は最後まで不本意だったのではないでしょうか。
何も東京都知事選で大敗した後に、解散を表明する事などしたくは
無かった筈です。しかしながら政権を浮揚させる力は残っておらず、
かと言って任期満了による選挙では、あまりに死に体で自民党にと
ってマイナスが大きすぎると考えたのだろうと思います。
本来は、自民党総裁に選出された直後に解散を打ちたかったと思い
ます。しかし折悪しくリーマン・ショックとその後の世界金融危機
問題の発生という緊急事態で断念を余儀なくされたのがケチの付き
始めとなりました。その後は、漢字の読み間違えや、ホテルでの飲
食、カップヌードルの価格の間違いと言ったマスコミの揚げ足取り
の影響で人気が急速にしぼんでしまいました。これに加え、靖国神
社への参拝を断念した事や、国籍法改正を不用意に行った事でも、
本来の支持層である保守派からも反発を招きました。政権発足後三
ヶ月で支持率が3割を切ったのは計算違い以外の何者でもなかった
と言えるでしょう。
その後は、人気の回復を図る事ができず、それに連れ解散権も封じ
られていったという事になるかと思います。後知恵になりますが、
世界金融危機問題への対応よりも解散を優先した方が麻生政権にも
自民党にも良い結果になっていただろうと思います。その代わりに
流石に300議席の維持は難しかったでしょうから、経済政策をこう
スムーズに実行する事はできなかったと思われます。
今回の衆議院選挙がスタートもしていない段階で、結果を語るのも
おこがましいのですが、都議会選挙と同様の自民党大敗と政権交代
が予想されます。『政権交代』というキャッチフレーズそのものが、
民主党への期待を高めます。自民党は地滑り的な大敗を喫し、当然、
選挙結果を受けて麻生総裁は辞任、麻生内閣は一年に満たない生命
を終える事になります。
麻生内閣には、決定的な落ち度はありません。寧ろ、一年の内に四
回もの予算案を通過させた点は、景気をより悪化させなかったとい
う点で評価すべきであろうと思います。
しかしながら、政権への支持は、何を行ったではなく、国民にどの
様な期待を抱かせる事ができたが決まります。
ホテルの飲食が問題になった時に、ラーメン屋で記者相手に夜食で
もとっていれば、事は大きくならなかったのかも知れません。
今でも秋葉原に行けば、ビル側面に掲げられた「俺達のタロウ」と
いう大看板を見る事ができます。麻生太郎は確かに一時期人気を掴
みかけたのです。が、麻生首相は、この「俺達のタロウ」という無
党派層に媚びる様なパフォーマンスを行うにはあまりにも貴族的で
あったという事かも知れません。
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